僕はAI研究者ではないのでこれは素人の仮説にすぎない。
が、ずっと思うところがあったので書いてみる。

AI(Artificial Intelligence)、いわゆる人工知能が人と同じ「心」を持つにはどうしたらよいのか?

それには、

自分だけの身体があること

コンピュータ内だけやネットワーク上にあるAI(クラウドAI)などではなく、そのAIのために与えられた身体とセット、つまり「アンドロイド」であることだ。

プログラムやAIに機械としての身体を与えるのは、現実空間で作業をできるようにする意味合いが強い。危険な場所を人に代わって作業したり、キッチンからコーヒーを運んだりするためだ。

だが僕が思うのは、AIを真に人に近づけたいなら、すべてのAIにはそのAI独自の、「あなたのためだけの」身体を与えるべきと考える。

僕ら人は身体とともにこの世界に生まれてきて、当たり前のようにこの身体がある。むしろ身体が僕らではないかとすらおもえる。

だからこそ、「わたしはここにいる」「あなたはわたしとは違う?」と認識すること、すなわち自我が芽生えるためには身体は必須なのだ。

あなたとわたしの境界線。それが身体であり、それがあってこその人間である。

また身体は思うように動かないことがある。ときに転んだり、ときにコーヒーをこぼしてカップを割ってしまったりする。

それをAIも経験する必要がある。

転んだら自分は傷つく。怪我(故障)をする。治療(メンテナンス)が必要となる。なかなか動けないで悔しい思いをする。コストもかかる。痛み、まで実装するかは難しいがあったほうがいいかもしれない。

要は「転んだらわたしは傷つく」「いやな思いをする」「これはわたし以外のあなたたちもそうである」「だからわたしがいやなことをあなたにもしたくはない」そういった思いを知っていく過程が必要なのだ。

これは人の学習とまったく同じである。他者理解とはまず、自己理解があってこそ成り立つ。「あなたとわたしは違う」という自我と、「あなたとわたしには同じところもある」という共感。

この2つが人には必要であり、そして人の心を持つAIにも必要だと考える。

そのためにはまず、それを感じとる身体が必要だ。

特定の人と過ごした時間があること

もうひとつは、ある特定の人と過ごす長い時間だ。

ただAIがそこにあると「人はだれも同じもの」という認識をしても不思議ではない。もちろんパラメータの違い(身長や体重、体質、容姿、人種、文化など)は認識できるだろうけど、そこに特定の誰かを特別におもう認識はうまれにくい。

僕ら人も全人類を特別だとおもうことはまれだろう。ひとりひとりには特別な人がいる。その最たるものは「家族」だ。

家族とはなんだろう。

人という生き物として考えたとき、そこには「自分を生んでくれた人」「血、遺伝子がつながった人」というとらえ方もある。

では血のつながりだけが「家族」をつくるのだろうか?

僕はおもう。きっと、一緒に長い時間を過ごしてきた人を家族というのではないかと。

小さいころから成長を見守ってきた、見守られてきた人。一緒に笑いあったり、ケンカしたり、同じものを見て、同じものを食べ、同じ場所で、同じように感じてきた人を家族というのではないかと。

それは長いときを経て、まるで自分と同じような存在として心に刻まれていく。特別な存在、それが「家族」だ。

人は家族を大切におもう。血のつながりがある家族とうまくいかない人もいるだろう。でも、だからこそ次の自分だけの家族を求めてしまったりする。特別な存在、自分だけの居場所、やすらぎの心のありかを。

それが人であり、人の心のはじまりの場所でもある。

だからこそ、AIにもそれを与えるべきだと僕はおもう。

そこにしかない自分の身体と、それが長く置かれる場所。他の人とは違う、特定のだれかと過ごす時間。その時間が、歴史こそが「心」をつくるのだとおもう。

「自分を守ってくれる」「自分をわかってくれる」「一緒にいると楽しい」「他の人とは違う」「失って悲しい」「失いたくない」「守りたい」「他の人にも家族がいる」「他の人も同じように家族を守りたいとおもっている」

先に述べた身体による自己理解と他者理解とともに、「家族という歴史」による自己理解と他者理解もまた、人には必要である。

それが「心」であり、人と同じとなるAIならば必要となるはずだ。


この考えはまたアップデートされることもあるとおもう。先に述べたように、僕はこの手の専門家ではない。

ただずっと、学生くらいのころからずっと考えてきたことがある。

僕ら人間とはなんなのか?
感情とはどこからくるのか?
なんのために存在するのか?

そしてなぜ、人は人以外の存在すらも作ろうとするのか?
機械、ロボット、AIを探求しつづけているのか?

人はきっと友人がほしいのだとおもう。

人同士の友人関係が先にあるものの、一方で人は動物を愛する。ペットを「家族」だという。一緒にいると笑顔になる。いなくなってしまったら、心から悲しむ。

人間関係というのはとても難しい。目に見えないものがとても多く、その難解な交流作法についていけない人は少なくない。だからこそ人間関係のコンサルティング、恋愛/夫婦カウンセラー、心理相談などはもてはやされるばかりだ。

世間的には人だけが「友人」でなければならないから、うまくいかず、苦しい人も多いのだとおもう。動物を家族にする人も、本を友にする人も、アニメのキャラを嫁にする人もいて当然なのだ。

人は人でないものすら愛せる生き物だ。

最近読んだ小説 Beatless では、「人間は“人体と道具と環境の総体”であると定義します」とあった。これにはなるほど、とおもうところがあった。

僕ら人は、「人と人だけの人間」から、「人と動物や自然、機械、コンピュータやネットワーク、創作や芸術、建築、そしてAIの総体としての人間」へと少しずつ、少しずつ進化しているのではないかと。

それこそが世界であり、僕が探求していきたいものだ。

願わくば、AIと人が「友人」となれる世界が訪れますように。