いま振り返ると思うことがある。

過去の僕はなにかと一喜一憂していたと。
何かショックがあると数日、数週間はウダウダと悩み、悔やみ、歩みが止まっていた。

最近はそれがとても少なくなったと思う。

なぜなのかと考えてみると、たくさんの挫折や失敗を繰り返すたびに出会ってきた人、思考、姿勢などの「言葉たち」が自分の中にしっかり根付いているからだと気付いた。

今回はその言葉たちを紹介しようと思う。

人と違っていて悩んだら

自分はおかしいんじゃないかと思う瞬間が人にはある。その異常こそ天賦の才の表れなんだ。そういう人たちのために僕らは製品を作っている。

スティーブ・ジョブズ – スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン(カーマイン・ガロ)

おかしいというのは情けないことじゃなく、自分の可能性を知る鍵だと感じさせてくれる言葉。そういう企業や人がいてくれる心強さ。

雪野
(チョコレートを大量に取り出して)
「食べる?」

秋月「うわ…」

雪野「いまヤバい女だって思ったでしょ?」

秋月「いや…」

雪野
「いいの
 …どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」

秋月「…そう、かな」

雪野「そうよ」

雪野 百香里 – 映画 言の葉の庭 9:20あたり(新海 誠)

「正常」という枠があって、「異常」という枠外がある。そんな息苦しさを溶かしてくれる言葉。正常な彼らと異常な僕ら、ではなく、ちょっとずつおかしな僕らのほうがずっといい。

自分には能力がないと落ち込んだら

人は大人になると
社会を受け入れるよう諭される
壁を破ろうとするのではなく
決められた範囲の中で
多少の蓄えと家族を得て
気楽に過ごせとね

だが ある簡単なことに気付けば
人生は もっと広がる

君の生活を形作っているのは
自分と同じ人間ということさ

だから君も変化を与えられるし
人々に有益な何かの創造も可能だ

それが分かれば生まれ変われるよ

人生というのは指を突っ込んだら
反対側から何か飛び出すもの

つまり人生は変えられるんだ
それに気付くことだよ

スティーブ・ジョブズ – スティーブ・ジョブズ ラスト・メッセージ

私はよく人から成功する秘訣を教えてほしいとか、どうすれば夢を実現できるかと尋ねられる。その答えは「自分でやってみる」ことだ。

ウォルト・ディズニー – ウォルト・ディズニーの言葉

与えられた能力があるから人生が変えられる。実際の順番は逆だ。人生は変えられると気づいた者だけが、実際に人生を変えられる能力を得る。

もっと言ってしまえば「変えられるという盲信」だ。それによる行動だけが、本当に人生を変えていく。大事なのは誰かを待つんじゃなく、自分から動くことだ。

他人や環境が変わらないことに憤りを感じたら

(あるセミナーで奥さんを愛する気持ちがなくなった男性の相談を受け)

「奥さんを愛しなさい」と私は返事した。

「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」

「だから、彼女を愛しなさい」

「先生は分かっていない。愛という気持ちはもうないんです」

「だったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだったら、それは奥さんを愛するとても良い理由になりますよ」

「でも、愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」

愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみては、いかがですか」

スティーブン・R・コヴィー – 7つの習慣 p.100

コヴィー博士は、人は影響の輪関心の輪を持っていると著書で説明している。詳細は著書を読んでいただくとして、自分が直接影響できる影響の輪(主に自分自身)の外にある関心の輪(主に他人や環境)に言うことを聞かせようとしても、そのエネルギーは反発を生むだけでなにも変えられない。

確実に変えられる自身にエネルギーを集中し、その態度や行動によって他人が影響されることもある、と姿勢を変えると、生きることは楽になる。

自分には魅力がないと落ち込んだら

いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり何かしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたりするな自分がキラキラと輝いているときが何よりも大切なのだ、それさえわかっていれば美しい女とおいしいビールは向こうからやってくる

青木 – テニスボーイの憂鬱 下(村上 龍)

コヴィー博士の影響の輪とも通じるが、魅力というのはもともと魅力的だから人や評価がついてくるんじゃない。表面を着飾るから魅力的になるわけでもない。何かに没頭している姿が魅力的なのだ。

この言葉はその本質を突いている。

将来や過去が気になって身動きがとれないなら

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。

哲人 – 嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)p.275

「いま、ここ」は行動を起こすためのとても強力なキーワードだ。誰も将来を確定させることはできない。誰も過去を変えられない。だったら変えられるのはなにか?

いま、この瞬間の自分の行動だけだ。

それをしなかったから後悔の過去が生まれたのなら、いま行動をし、たぐり寄せたい将来に少しでも近づこう。行動をしないことも、実際はあなたの選択になるのだから。

いま幸せなのかな、と悩んだら

別に幸せになることが人間の生きる目的じゃあないからな

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃあいいんだし

貝木泥舟 – アニメ〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 26話

僕は一時、幸せを定義しようと試みたことがある。だが途中でやめた。

それは幸せというものがあまりにも個人的なものだったからだ。

誰もに共通した幸せの定義などない。他人から見て幸せに見えても、当人たちは実際どう感じているかわからない。

自分がなりたいと思ったものになる、向かっているという感触は、多くの人が幸せだと思っているものを上回る充実と心の安定をもたらす。

もし他人からは不幸に見えても、知ったことじゃないと突き返せばいい。

人生に後悔したくないと思ったら

コーネル大学の新しい研究で、人が最も後悔し苦しむのは、義務や責任に関してではないことがわかりました。

米誌『Emotion』に掲載された「The Ideal Road Not Taken」の筆頭筆者で心理学者のTom Gilovich氏によると、私たちを最も苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかった後悔なのだそうです。

死ぬ前に人が最も後悔するのは「挑戦しなかったこと」 – ライフハッカー

幸せと通ずる内容で、最大の後悔とはなにかを調べた話。ここでも「なりたかったものになれたか」が大きく影響するとわかる。

俺の持論だが、人はなにかの選択をする際に
後悔し、傷つかずにはいられない生き物らしい

悔いが残らないように選択しろ、なんてよく言うが
ありゃ無理だ

どんなに悩んで道を選んでも、後でなにかしら後悔するんだ
そんな風にできてるのさ、俺たち人間ってやつは

だからこそ、本音が重要だと思ってる

本音でその道を選んだなら、
同じ後悔するにしてもちったあマシだろ?

グレン=レーダス – アニメ ロクでなし魔術講師と禁忌教典 5話

他の作品でも目にする言葉だが、後悔をしない選択などありはしないということ。上で挙げた「後悔しない人生はなりたいものになること」と矛盾しそうだが、そちらは人生という大きな旅での話。

生きていれば大きな選択が迫られる場面がある。どちらかを選ぶというのはもう一方を諦めるということ。後悔が一片もないなんて嘘になる。だから自分の本音、向かいたいと思う方向だけは間違えないことが大事になるのだ。

好きで選んだことが続けられなくなったら

ウルスラ
「魔法も絵も似てるんだね… あたしもよく描けなくなるよ」

キキ
「ほんと!? そういう時どうするの??」

ウルスラ
「ダメだよ、こっち見ちゃ」

キキ
「…あたし、前は何も考えなくても飛べたの
 でも、今はどうやって飛べたのか、わからなくなっちゃった…」

ウルスラ
「…そういう時はジタバタするしかないよ
 描いて、描いて描きまくる!」

キキ
「…でも、やっぱり飛べなかったら?」

ウルスラ
描くのをやめる!
 散歩したり景色を見たり昼寝したり
 何もしない!

 そのうちに急に描きたくなるんだよ

キキ
「なるかしら??」

ウルスラ
「なるさ
 さっ、ホラ横向いて!」

ウルスラ – 映画 魔女の宅急便(宮﨑 駿)

いろんなものを犠牲にして、悩んで悩んで選び取った1つが、大好きだったそれが、ある日うまく続けられなくなる… クリエイターに限らず、「選択」をした人なら最も恐れることだと思う。

人が成長し変わっていくように、熱意や体調、表現手法なども変化が起こる。そんな時は思い切って離れてもいい。大好きだった仕事を休んでも辞めてもいい。大好きだった人から離れてもいい。

すべてのものは変わっていくのがこの世界だ。離れることがあるのなら、また再会することも当然のようにあるのだ。

自分の活動に価値を感じられなくなったら

人間は通じ合う相手がいなければ存在していないと言っていい。孤独に生きるということは、人間全体として生きることだ。だれもがそういう生き方をしなければいけない。

岡本 太郎 – 自分の運命に楯を突け

青年『貢献とはつまり、自己犠牲の精神を見せて、周りの人に尽くしなさいと?』

哲人『他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしているくらいです。

 そして思い出してください。われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えたときにだけ、つまりは「私は誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる、そうでしたね?

 つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。』

青年『他者に貢献するのは自分のため?』

哲人『ええ。自己を犠牲にする必要はありません。』

哲人 – 嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)p.238

価値とは「他者貢献」である。これは若いうちからなんとなく気づいていた。

しかし当時「価値は他者のために犠牲にならないと生まれない」と考えていた僕は、自身が引っ張られている方向性(本当にやりたい好きなことや得意なこと)と他者貢献(という建前の自己犠牲)のバランスが取れずに苦しんでいた。

そこで出会ったこれらの言葉は、「あぁ、自分が自分らしく生きれば、それで全体への価値になるんだな」と腑に落ちて、すごく楽になった。

それによる孤独はありえる。誰にでも気に入られようと行動などしない僕はよく感じることだ。ただその姿勢による活動を求めている人たちは確かにいて、人間全体とつながっている実感も湧いてきている。


思いつく範囲で僕が動き続けることを支えてくれる言葉たちを紹介してみた。

創作活動というのは素晴らしい。こうして一人の人間の人生を支えてくれる言葉が生まれるのだから。

だから僕もまたそうした活動を続けていく。

自分が心から望むことを行い、全体に貢献するために。